増田珠選手は、2017年のドラフト会議でソフトバンクから3位指名された内野手です。
スカウトからは、プレーだけでなく元気がある性格も評価されていました。
松田宣浩選手を尊敬しており、「熱男」パフォーマンスをもじり、「増男」パフォーマンスを披露したことも。
しかし、現役3年目で右手首の手術を受けると、思うようなプレイができない日々が続き、2023年シーズン終了後に戦力外。
この直後、小久保監督は若鷹たちに、
増田の方がお前たちより野球はうまい
と話していて、
フロントと現場の意思疎通ができてないのではと
話題になったこともあったね…
増田珠選手は戦力外後も野球を続けたいと話しており、ヤクルトが獲得に動きました。
この獲得は功を奏し、2024年は主に代打出場、2025年は外野手登録に変更。
2026年は自身初のオールスター出場・100試合出場を達成しました!
ヤクルトファンからは、
ヤクルトに来てくれてありがとう!
との声が多く上がっており、新天地で大ブレイクを果たしています!
ちなみに、メジャーで活躍する
村上宗隆選手とは同い年だよ!
今回は、増田珠選手の家族エピソードについて調査しました!
ぜひ最後までごらんください!
増田珠選手の父親はどんな人?驚きの経歴の持ち主だった!?父親から影響を受けた部分は?
増田珠選手の父親は、照久さんという名前です。
年齢は明らかにされていませんが、2026年時点で50代です。
父親は多くを語らない寡黙な性格だと、増田珠選手から明かされています。
増田珠選手は元気な性格だから、
少し意外だね!
実は、あまり増田珠選手と父親は幼少期に関わってきませんでした。
親子仲の良さや両親の関係が影響しているのではなく、父親は元長崎のテレビマン。
夜遅くに家を出ることも珍しくありませんでした。
そんな父親の姿に、増田珠選手は、
「こんな時間から仕事に行くんだ。
我慢強さというか、粘り強さというか。
すごいな」引用:日刊スポーツ
と子供ながらに考え、父親から生き方を学んでいたそうです。
ソフトバンクを戦力外になっても、すぐに引退を決断せずに球界に粘り強く残り続けようと考えられたのは、父親のおかげかもしれません。
増田珠選手が父親から学んだことは、もう1つあります。
それはチャレンジ精神です。
父親は、増田珠選手のプロ入り後、2025年春に転職。
なんと、テレビマンから教員になったんです!
このことから、父親は大学を卒業しており、在学中に教員免許を取っていた可能性が高いと思われます。
赴任先は人口600人の離島、度島唯一の中学校、度島中学校です。
増田珠選手は2025年末に度島を訪れ、父親の教え子と一緒に遊んでいます。
新たな職業に挑戦する父親の背中から、再び生き方を学んだ増田珠選手。
変化を恐れず人生を楽しむ父親の姿勢は、今後も増田珠選手の人生の選択の大きなヒントになるはずです。
増田珠選手の母親はどんな人?スポーツを始めるのに反対していた!?
増田珠選手の母親は、美穂さんという名前です。
年齢は明かされていません。
職業はフリーライターで、元出版社の正社員です。
そのため、家事にも仕事にも追われている生活を送っており、「土日はゆっくりしたい」という理由で、増田珠選手がソフトボールを始めるのに反対。
送迎や応援が大変だもんね…
ただ、どうしても増田珠選手はソフトボールをしたかったため、小学1年生の頃から1人でチームに通い始めたそうです。
母親はスポーツに興味がなかったため、増田珠選手がソフトボールチームの話をしても「そうなんだー」ぐらいで聞き流していました。
その調子で増田珠選手が小学5年生になった頃、保護者から、
「増田さん、一回でいいから見に来て!
来たら分かるけん。
珠くん、一生懸命やってるから。
すごく頑張ってるから」引用:スポーツナビ
と勧められ、渋々グラウンドへ向かうと楽しそうにソフトボールに励む増田珠選手の姿が。
その時、母親は今まで応援にかけつけなかったのを後悔したそうです。
母親にはスポーツ経験がなかったため、増田珠選手のスポーツへの情熱がいまいち分かっていなかったのだとか。
チームの手伝いや送迎を面倒に思っていたことも反省しましたが、増田珠選手は、
「見に来てほしいなとは思ったこともありましたけど、仕事で忙しいのも分かっていましたし、それ以上にソフトが好きで楽しかったので全然大丈夫です。
でも、やっぱり来てくれるようになって嬉しかったです」引用:スポーツナビ
とにこやかに振り返っていました。
増田珠選手の情熱が伝わったため、中学からの硬式野球転向や、整骨院に往復4時間かけて通うのも躊躇わなくなった母親。
とても元気な性格で、話も達者のため、しっかり増田珠選手が母親の性格を受け継いでいるようです。
そんな母親の夢は、増田珠選手についての本を書くこと。
フリーライターの母親の夢をかなえるためにも、増田珠選手には活躍し続けてネタを提供してほしいですね!
増田珠選手の母親が思わず涙した出来事とは?名前の意味は?
増田珠選手の名前、珍しいと思った人も多いのではないでしょうか。
母親によると、増田珠選手は生まれてすぐに笑顔を浮かべたそうです。
その笑顔を見て思いついたのが、宝物という意味がある「珠」だったそうです。
母親の宝物である増田珠選手ですが、1度本気で母親を心配させたことがあります。
それは、横浜高校への進学です。
しかし、入寮してすぐに体調を崩してしまったのです。
医師の診断結果は、慣れない環境で精神的に負担になっているというものでした。
体調が落ち着き、母親は長崎に帰るという決断をしましたが、
「母ちゃん、またね!」
引用:スポーツナビ
と増田珠選手は心細そうに手を振って見送ったのです。
その姿を見た母親は、長崎弁が抜けきっていない息子が上手くやっていけるのか、身の回りのことはちゃんとできるのかという心配が一気に押し寄せ、思わず涙してしまいました。
ただ、そんな母親の心配を跳ねのけるように持ち前の元気でチームに溶け込み、監督も太鼓判を押すような活躍を見せるように。
しかし、右手の疲労骨折をした際、流石に増田珠選手は落ち込んでしまいました。
そんな増田珠選手を勇気づけるため、母親が送ってきたのが夏の80日計画という冊子。
手術してから復活するまでの計画を記し、スポーツ選手の名言を散りばめたものでした。
ライターらしい母親のプレゼントには、
「『気を遣いすぎだろう!』と思いました」と笑ったが、「『さすが母ちゃん』とも思いましたよ。
ほんと、ありがたかった。
自分も親になって子どもができたら、こういう親になりたいなって思いました」引用:スポーツナビ
と感謝していました。
そして、2度目の涙は、増田珠選手がオールスターに選出された時です。
電話で母親に報告し、
「泣いて『本当に諦めなくて良かったね』と言われた」
引用:日刊スポーツ
と明かしました。
もしかしたら、母親はオールスターを現地観戦したかもしれませんね!
増田珠選手にきょうだいはいる?高校時代からの兄貴分もプロ入り!
増田珠選手は1人っ子だと明かされており、きょうだいはいません。
そんな増田珠選手が、横浜高校時代から尊敬していたのは、現在楽天で活躍する藤平尚真投手です!
藤平尚真投手は高校3年生の時、神奈川県夏大会決勝で先発していました。
この試合で増田珠選手は2ランを2本も打って援護。
藤平尚真投手含む当時の3年生初の甲子園出場に貢献したんです!
増田珠選手は2016年春に右手を疲労骨折したばかりでしたが、藤平尚真投手からLINEで、
「この時期、この時間を絶対無駄にすんなよ。
お前は俺にない物を持っている。
夏の甲子園で暴れてくれるのを期待してる」引用:日刊スポーツ
と励まされたそうです。
あまりに感動して、このメッセージの画面を待ち受けに設定する程でした。
母親の冊子と藤平尚真投手からの言葉で、
増田珠選手は疲労骨折を乗り越えたんだね!
そして、2016年夏大会で有言実行!
甲子園出場が決まった際、増田珠選手は藤平尚真投手へ一直線に駆け寄って1番に抱き合ったそうです。
試合後の取材では、
「藤平さんと甲子園に行きたい。
藤平さんが投げる時は自分が打って助けたかったです」引用:日刊スポーツ
と答えており、仲良しっぷりが伝わってきます。
ソフトバンク入団会見では、藤平尚真投手との対戦を熱望。
残念ながら、対戦機会に恵まれておらず、過去5年では2026年の1打席のみ。
この対戦では増田珠選手が四球を選ぶという、少し甲乙つけがたい結果になってしまいました。
増田珠選手のヤクルト移籍により、かなり対戦機会は減ってしまいましたが、2027年以降の交流戦での対決に期待しましょう!
増田珠選手の父親はテレビマンから教師という異色のキャリアを築いた!母親はフリーライター!きょうだいはいない!尊敬する先輩は藤平尚真投手!
増田珠選手の実家家族構成は両親のみです。
兄弟はいませんが、横浜高校時代から藤平尚真投手を尊敬しており、増田珠選手にとっての兄貴分と言えるでしょう。
父親は増田珠選手の幼少期、テレビマンとして働いていました。
ただ、2025年春から教員に転身。
増田珠選手は幼少期にテレビマンとして我慢強く働き続け、50代にして新たな世界に飛び込む父親の姿勢から生き方を学んだそうです。
父親は寡黙な性格だったそうですが、母親はとても元気がいい性格。
増田珠選手の性格は、母親譲りだと思われます。
母親はスポーツ経験がなく、増田珠選手がソフトボールを始めることに反対。
しかし、保護者に誘われてチームの様子を見に行き、考えが変わりました。
ただ、横浜高校に進学した時は、田舎出身の息子が上手くやっていけるのか心配になったことも。
増田珠選手は、母親の心配をよそに持ち前の元気で乗り越えました。
オールスター出場が決まった際に報告すると、母親は涙を流して喜んでくれたそうです。
現在の母親の夢は、フリーライターとして増田珠選手の本を書くことです。
母親の夢のためにも、増田珠選手にはプロの世界で活躍し続けてほしいですね!
最後までご覧いただきありがとうございました♪