立石正広選手は、大学で最も優れた野手として注目されていました。
その実績があり、2025年のドラフト会議では、阪神、広島、日ハム競合に。
くじ引きでは阪神を引き当て、笑顔を浮かべていました。
無事入団交渉を終え、阪神入団が決まった立石正広選手に対し、球団側は背番号9を用意。
かつて神助っ人とされたマートン選手が着用していた背番号であり、かなりの好待遇だと言えるでしょう。
1年目の目標について、新人2桁本塁打の達成を掲げている立石正広選手。
阪神ファンの期待を背負って、大活躍してくれることを期待したいですね。
そんな立石正広選手ですが、なかなかのアスリート一家で育っている噂があります。
今回は、立石正広選手の実家家族エピソードについて調査しました!
ぜひ最後までご覧ください♪
立石正広選手の父親はどんな人?父親は野球経験者?
立石正広選手の父親は、和広さんという名前です。
父親は2025年10月末時点で57歳のため、1968年か1967年生まれだと思われます。
職業については明かされていませんが、年齢を考えると会社員として働いている可能性が高いです。
プロ野球選手の父親といえば、野球経験者というイメージが強いですよね。
立石正広選手の父親も例にもれず、野球経験者です。
しかし、小学校時点で身長180㎝に到達したため、周りに勧められバレーボールへ転向。
高校・大学時代はバレーボール選手として活躍した父親でしたが、
「小学校の頃から野球をやっていて、プロ野球選手になりたいという思いがあった。
背が高くて周囲の勧めもありバレーボールをやるようになったが、あのまま続けていたらどうなっていたかとか考えたこともある」引用:TBS NEWS DIG
と、野球を続けなかったことを少し後悔しているようでした。
男子全日本代表のアシスタントコーチを務めたこともある父親ですが、野球に対しての未練は捨てきれなかったようです。
この父親の思いは、立石正広選手に伝わっていたのでしょう。
小学1年生で立石正広選手は野球を始めますが、始める前に父親に対し、
「パパは俺に野球をしてほしいんじゃろ?」
引用:TBS NEWS DIG
と発言。
立石正広選手の発言が、とても嬉しかったそうです。
父親は、中間一貫校に通う息子を毎日実家の最寄り駅まで送迎。
父親の思いが無ければ、立石正広選手がプロ野球選手を目指すことは無かったかもしれません。
立石正広選手の母親はどんな人?オリンピックに出場したって本当!?
立石正広選手の母親は、郁代さんという名前です。
兵庫県龍野市出身で、1969年5月13日生まれです。
母親は今こそ引退しているものの、バレーボール選手として活躍していました。
日本代表に選ばれ、1992年のバルセロナ五輪に出場しています。
意外にも母親は身長167㎝とそこまで身長が高いわけではありません。
高い運動能力があったからこそ、日本代表に選ばれたのでしょう。
立石正広選手の中学・高校時代、母親は朝4時から毎日お弁当を作って野球人生をサポート。
野球について素人の母親は、技術面に口出すことはありませんでしたが、
『いくらでも上には上がおるから、もう練習するしかないんだよ』
引用:THE ANSWER
と口酸っぱく言われたとのこと。
立石正広選手は、母親からこの言葉をかけ続けられたおかげで成績を残しても調子に乗らない性格になったと分析していました。
日本代表経験があるからこその母親の言葉は、とても説得力がありますね。
オリンピック出場経験のある母親を持つ立石正広選手は、入団交渉後に夢を語っています。
「WBCとはまた違ってオリンピックも特別ですし、お母さんに並びたいと思っている。
そこを目指すというより必然的にそうなればいい」
「先のことなのでわからないですけど、結果を残し続ければ(メンバーに)入るチャンスはありますし入りたい」引用:日刊スポーツ
2028年に行われるロサンゼルス五輪では、野球が五輪種目に選ばれています。
もし立石正広選手が出場できれば、親子2代での五輪出場という快挙です。
阪神入団後も現在の謙虚な気持ちを忘れず、練習に取り組んで夢をかなえてほしいですね!
立石正広選手のきょうだいはどんな人?きょうだいも運動神経が良い?
立石正広選手には、姉が2人います。
長女は沙樹さんという名前で、1996年1月11日生まれです。
次女は優華さんという名前で、1998年3月21日生まれです。
2人ともバレーボール選手として活躍しており、長女は日本体育大学卒業後、プロバレーボールチームのリガーレ仙台に所属。
次女は青山学院大学卒業後、プロバレーボールチームのクインシーズ刈谷に所属しています。
つまり、立石正広選手はバレーボール一家に育ったということです。
姉2人は、バレー強豪校誠英高校に進学。
年始に行われる春高バレーを観戦しに行くのが家族行事で、5年連続で姉達の活躍を見届けていたそうです。
下の姉優華さんは、立石正広選手がドラフト指名を受ける前の心境について、家族も含めて「どこの球団でも入団してくれればいいから早く終わってくれ」と感じていたのだとか。
優華さんは、立石正広選手のドラフト1位指名入団を喜んでいたものの、
「今まで以上に周りから評価される立場になるし、結果が出ないとネガティブになることもあると思います。
でもそこに左右されず、自分の目標に向かって頑張ってほしい。」引用:Yahoo!Japan
と現実的な目線でも弟にエールを送っていました。
優華さんは人前で話すのが苦手なようで、立石正広選手が堂々と話す姿を弟ながら尊敬しているそうです。
現在優華さんの夢は、お互いの試合で始球式をすること。
立石正広選手は即戦力として期待されており、1年目から1軍戦に出場する可能性も高いです。
優華さんがタイガースのユニフォームを着て、マウンドに立つ姿を見られる日は近いかもしれません!
立石正広選手はスポーツ一家で育った!父親は息子に野球をしてほしかった!母親は日本代表に選ばれたほどの実力者!姉2人もバレーボール選手!
立石正広選手の実家家族構成は、両親と姉2人です。
父親は大学までバレーボールを続け、元男子日本代表アシスタントコーチでもあります。
小学生時点で身長180㎝という体格の持ち主だった父親ですが、バレーボールを始める前は野球をしていました。
周囲の勧めでバレーボールに転向したものの、野球を続けられなかったことを少し後悔していたようです。
そのため、立石正広選手にはバレーボールではなく野球をしてほしいという思いがあった父親。
その思いはしっかりと通じ、立石正広選手から「パパは僕に野球をしてほしいんじゃろ」と言われたそうです。
しっかりと家族の運動神経の良さを受け継いだ立石正広選手は大学No.1スラッガーに。
息子が大成したのは、父親としては感無量なのではないでしょうか。
母親はバルセロナ五輪に女子バレー日本代表として出場しています。
母親は野球については素人であるものの、「上には上がいる」と立石正広選手に教えていたとのこと。
立石正広選手も母親と同じように五輪出場を夢としています。
親子2代で五輪出場の夢を、ロサンゼルス五輪で叶えてほしいですね。
姉2人は現在プロバレーボールリーグで活躍しています。
姉がバレー強豪校に進学した関係で、家族は5年連続で春高バレーを観に行っていたとのこと。
下の姉優華さんの現在の夢は、お互いの試合で始球式を行うことです。
立石正広選手は即戦力として期待されており、優華さんの夢は近いうちに叶いそうですね。
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