櫻井頼之介投手は、2025年ドラフトで中日から2位指名を受けてプロ入りしました。
東北福祉大学時代には3年生の時に秋季リーグで敢闘賞、4年の春季リーグではMVPを受賞。
第74回全日本大学野球選手権大会では、全5試合中4試合に登板して323球を投げ込み、東北福祉大学優勝に貢献しました。
中日入団時は、
「まだまだ体も小さいですし、まずは自分の課題をしっかりプロに入って見つけて、中日ドラゴンズの日本一に1日でも早く貢献できたらいいなと思います。」
と語っており、今後の活躍が注目されます。
櫻井頼之介投手は、母親との絆を感じさせるエピソードが明かされ話題になりました。
今回は、櫻井頼之介投手の家族エピソードについて調査しました!
特に中日ファンの方は、最後までご覧ください♪
櫻井頼之介投手の母親はどんな人?大病に苦しんだ過去も!
櫻井頼之介投手の母親は、麻衣子さんという名前です。
1967年10月16日生まれで、2025年に58歳を迎えました。
顔写真は中日スポーツで公開されており、鼻が特に櫻井頼之介投手に似ていると感じました。
櫻井頼之介投手は大人しく優しい子だったものの、中学時代に所属した野球チームの監督からは、
「最初はやんちゃでそれほど練習する子ではなかった」
引用:中日スポーツ
と証言されているので、友達と一緒になると少しふざけてしまっていたのかもしれません。
櫻井頼之介投手の意識を変えたのが、母親の大腸がん発覚です。
中学に入ってからすぐに明らかにされたものの、櫻井頼之介投手の心情を思い約1年間伏せられていました。
1年息子に症状を明かさず
治療に耐えていたんだね…
息子のために生きたい一心で
治療を頑張っていたそうだよ!
中学2年生になって母親の大腸がんを知った櫻井頼之介投手は、涙を流しながら話を聞いていたと言います。
母親が入院した後、櫻井頼之介投手は家事を率先して行い、お見舞いにも出向くように。
この時の心境の変化は、少年野球チームの監督からも明らかでした。
「試合に負けて悔し涙を流すようになったんです。
お母さんのために、頑張ったんだと思います。
行動も顔つきも変わって、見ていて楽しかったです」引用:中日スポーツ
母親のがんはリンパ節や肺、肝臓に転移したものの、現在は寛解状態。
母親は闘病中、言霊のように櫻井頼之介投手にかけていた言葉がありました。
『甲子園で投げる姿が見たい』
『プロに行くんや』引用:中日スポーツ
櫻井頼之介投手は、高校3年生の時に春夏続けて甲子園に出場。
プロ野球選手になるという夢も叶えました。
母親の夢を叶えた櫻井頼之介投手は、これからも親孝行のため、腕を振り続けることでしょう。
櫻井頼之介投手が明かした背番号の意味!母親は号泣!?
櫻井頼之介投手は入団会見で、大学時代から着用し続け、中日でも使用する背番号16の意味について言及。
「母親の誕生日が10月16日なのでよかった。
まだまだ親孝行できたらいいです」引用:日刊スポーツ
このエピソードを明かした際、入団会見を見守っていた母親は感動の涙を流していました。
尼崎に実家がある櫻井頼之介投手は、愛媛の聖カタリナ学園高校に進学。
母親は入院していたため、愛媛での試合の応援にかけつけられませんでした。
「全国大会なら甲子園だから見に行ける」
その言葉を覚えていた櫻井頼之介投手は、エースとして創部5年目の聖カタリナ学園高校野球部を甲子園に導いたのです。
大腸がんが寛解した母親は、櫻井頼之介投手の学生時代の試合に見に行けなかったのを取り返すように、応援に駆け付けるはず。
母親としては、すぐにでも1軍で活躍してほしい気分でしょう。
櫻井頼之介投手の父親はどんな人?進学先決定を後押し!
櫻井頼之介投手の父親は、寿章(としあき)さんという名前です。
2025年11月時点で56歳だったため、1968年か1969年生まれだと思われます。
職業は大工です。
母親が大腸がんになった際、夫婦で話し合った末に、まだ理解が難しいと判断したため父親は、
「お母さんちょっと体調悪いねん」
とだけ伝え、手術や抗がん剤治療を受けさせていました。
息子に隠し通し、妻が苦しむ姿を見続けるという厳しい心情は想像もつきません。
母親の大腸がんの話を聞き、ショックを受ける櫻井頼之介投手を、父親もフォローし続けていたはずです。
そんな父親は、櫻井頼之介が進学先に悩んだ際、アドバイスを送っています。
櫻井頼之介投手は小学生の頃から、甲子園に行けるような環境が整った高校に行くのを夢見ていました。
そんな中、選んだのは聖カタリナ学園高校。
当時の聖カタリナ学園高校野球部は、創部したばかりであり甲子園経験がない学校でした。
また、愛媛にある学校のため寮生活となり、母親とは会えない日々が続きます。
少年野球チームの監督からも、母親には「息子さんと離れて大丈夫ですか」と相談がありました。
それでも両親は、
「これから自分たちでチームを強くして、甲子園を目指していけばいいやん」
引用:中日スポーツ
と、櫻井頼之介投手の決断を後押し。
もし後押しが無ければ、櫻井頼之介投手が高校からエースとして活躍することは無かったかもしれません。
櫻井頼之介投手にきょうだいはいる?兄貴分になる投手は?ライバルが同期入団!?
櫻井頼之介投手は、1人っ子だと明かされています。
両親は櫻井頼之介投手に、たっぷり愛情を注いだことでしょう。
母親の入院中に家事を率先して行いながらプロ野球選手になれたのは、両親の子育ての賜物です。
中日は高橋宏斗投手をはじめ、優れた投手陣がいます。
櫻井頼之介投手に対し、プロの文化をしっかり教えてくれることでしょう。
高橋宏斗投手は同い年だし、
櫻井頼之介投手にとっては
ライバルになるかも?
櫻井頼之介投手が先発ではなく、中継ぎや抑えになった場合は、2025年セーブ王の松山晋也投手がしっかりとメンタルの保ち方を教えてくれそうですね♪
同じく東北福祉大学から、新保茉良選手も入団。
2人は仲が良く、寮で一緒にゲームをすることも多いのだとか。
新保茉良選手は、「櫻井が出ている時は勝ち投手にできるように貢献したい」とも語っています。
東北福祉大学コンビが揃って1軍戦に出場する日を、心待ちにしたいですね♪
櫻井頼之介投手には大工の父親がいる!母親は大腸がんから寛解!1人っ子はいないが中日には頼りになる兄貴分がたくさん!
櫻井頼之介投手の実家家族は、両親のみです。
父親は大工として働いていますが、母親は職業が明かされていません。
ただ、母親には大腸がんで闘病した経験があるため、専業主婦の可能性が高いでしょう。
母親の大腸がんが発覚したのは、櫻井頼之介投手が中学1年の時。
約1年間、櫻井頼之介投手には大腸がん罹患を隠しながら、手術や抗がん剤治療を受けていました。
中学2年生の時、母親の大腸がんを知った櫻井頼之介投手は、野球により一層熱を込めるように。
高校は実家の兵庫県尼崎市を離れ、愛媛の聖カタリナ学園高校に進学しましたが、母親は入院生活を送っていたため、愛媛での試合は見に行けませんでした。
代わりに、甲子園出場やプロ入りを願い続けており、櫻井頼之介投手は高校3年生の時に甲子園出場。
そして、今回プロ入りも叶えたのです。
入団会見では、大学時代から着用し続けている背番号16が、母親の誕生日であることも明かしていました。
これからも親孝行していきたいと語っている櫻井頼之介投手。
次は、生観戦している両親の前で、勝利投手になってほしいですね♪
最後までご覧いただきありがとうございました!