長岡秀樹選手は、ヤクルトの正遊撃手として活躍している若手内野手です。
2019年のドラフト会議で、ヤクルトから5位指名を受けてプロ入りすると、2022年に正遊撃手として定着。
球団史上最年少でゴールデングラブ賞を受賞したことで話題になりました。
2025年は、右膝後十字靱帯損傷の大ケガを負ったため、67試合の出場に留まったものの、2026年に2022年のような活躍を見せれば、1億円プレイヤーになる可能性は十分あり得るでしょう。
そんな長岡秀樹選手には、他のプロ野球選手とは一味違う家族の絆があるようです。
今回は、長岡秀樹選手の家族エピソードについて調査しました!
特に母親とのエピソードは、涙なしでは見られませんよ♪
長岡秀樹選手の父親はどんな人?職業は?厳しかった?野球経験者?
長岡秀樹選手の父親は、尚恭(なおやす)さんという名前です。
2025年12月21日時点で61歳のため、1964年生まれだと思われます。
中学校教諭として働いていましたが、現在の年齢を考えると再雇用か定年を迎えていそうですね。
教諭の頃は野球部監督を務めており、長岡秀樹選手が野球を始めたのは父の影響です。
少年野球チームにいた頃は、試合での映像を見返す日々を送っていました。
ただ、ティーバッティングにこそ付き合っていたものの、基本的に技術面に関して指導することは無かったのだとか。
少年野球チームや中学軟式野球部での指導を信用していたのでしょう。
長岡秀樹選手は、父親について、
「小さい頃はずっと野球をさせられてきたって感じで、辞めたいと言った時も『1回入ったんだから、最後まで続けなさい』って、厳しかった。」
引用:スポーツ報知
と語っています。
父親の言葉が無ければ、長岡秀樹選手はプロ野球選手になれなかったかもしれません。
長岡秀樹選手は、
凄く優しいお父さんになりたい
らしいけどね笑
長岡秀樹選手のプロ入り後も、父親の冷静に見守る姿勢は変わっておらず、
「毎年、毎年秀樹が自分で言っているようにレギュラーは確約されていないと。
チャレンジで、変化を恐れずにやりなさいということですよね。
何も守るものはないんだし、変化は恐れずに前向きに頑張ってほしいですね。」引用:サンスポ
と激励しています。
2026年は、再び正遊撃手のレギュラーを勝ち取り、父親が喜ぶような活躍を見せてほしいですね♪
長岡秀樹選手の母親はどんな人?プロ志望届を出したのは母親の一言がきっかけだった!?
長岡秀樹選手の母親は、綾子さんという名前です。
母親は1967年5月31日生まれで、現在は専業主婦だと思われます。
母親は少年野球時代から長岡秀樹選手の野球人生を支えており、少年野球時代の試合中のビデオ撮影。
プロ入り後も、2軍戦に足を運ぶことがあれば、ビデオ撮影してくれていたそうです。
母親は現地観戦に積極的で、
「だいぶ試合に来ています。
まだ行ったことない甲子園とかも行きたいとか言いはじめて。
試合が終わった後はクラブハウスで話したりしています」引用:FNNプライムオンライン
と、長岡秀樹選手から明かされています。
母親は明るく、おしゃべりな性格なようで、
「しょっちゅう連絡は取らないんですけど、たまに母親と電話したら1時間半とかしちゃうんですよ、2時間とか。」
引用:スポニチアネックス
と連絡頻度こそないものの、親子での電話を楽しんでいる様子でした。
プロ1年目の頃は、毎週のように実家へ帰省し、母親に寮へ送ってもらう日々を送っていた長岡秀樹選手。
高校時代は甲子園に出られなかったことから、プロ志望届をだすか高校で野球をやめるかの二択で悩んでいました。
野球続けてなかったかもしれないの!?
大学まで続ける自信がなかったみたい…
そんな長岡秀樹選手へ、プロ志望届提出を勧めたのが母親でした。
「出さなきゃ選んでもらえないんだよ。
プロ野球選手になりたいなら、駄目もとでもいいから出しなよ」引用:サンスポ
母親に背中を押された長岡秀樹選手は、無事ヤクルトから指名を受けてプロ入り。
母親の一言が無ければ、長岡秀樹選手はプロ入りどころか、球界に名前が残ることもなかったかもしれません。
長岡秀樹選手が好きな母親の手料理は唐揚げで、プロ1年目の頃は帰省するたびに良く食卓に並んでいたのだとか。
これからも母親は、現地観戦や唐揚げで長岡秀樹選手を支えてくれることでしょう。
長岡秀樹選手と母親には特別な絆があった!母親が大病を患った時にとった長岡秀樹選手の行動とは!?
「秀樹がいなかったら今の私は生きていない」
これは、母親がメディアの取材に応える際、よく口にしている言葉です。
というのも、母親は長岡秀樹選手が高校1年生の頃、白血病が発覚。
主治医からは「特にたちの悪いタイプの白血病」と明かされ、抗がん剤でも効果は見込めず、骨髄移植ができなければ5年後の生存率は3%と言われたのです。
家族はショックを受けましたが、検査の結果、長岡秀樹選手の白血球の型が1番近い事が判明。
完全一致ではないため、合併症のリスクは高いものの、主治医に骨髄移植を勧められたと言います。
骨髄移植ともなれば、痛み止めが効かず野球どころか日常生活にも支障が出る状態が続きますが、
「僕はもう即答で“やる”と言いましたね」
「母親がもしかしたらいなくなってしまうっていう恐怖感はありましたけど、僕の恐怖感はなかったです」引用:スポニチアネックス
と即決。
手術後も腰痛により、学校を早退することもあった長岡秀樹選手ですが、約1ヶ月後には県大会に出場する程回復しました。
母親が療養している間は、仲のいい同級生の母親が代わりにお弁当を作ってくれていたそうで、母親も長岡秀樹選手も、同級生と家族ぐるみで良い関係を築いていたことが想像できます。
長岡秀樹選手の骨髄移植により、合併症の発症こそあったものの母親は寛解。
母親のために試合で活躍したいと語る長岡秀樹選手は、2023年の母の日に行われた試合で猛打賞、2024年の母親の誕生日にタイムリーヒットを放つなど、母親にゆかりのある日に活躍しています。
母親が現地観戦に積極的になるのも、納得のエピソードと言えるでしょう。
中日に入団した櫻井頼之介投手も
母親との絆を感じさせるエピソードで話題になったね!
長岡秀樹選手にきょうだいはいる?プロ入り当時から既に叔父さんだった!?きょうだいには野球経験者も!
長岡秀樹選手には、兄が1人、姉が1人います。
姉は史紗(みさ)さんという名前で、長岡秀樹選手の7歳年上です。
現在は、一般企業の社員か専業主婦として生活していると思われます。
姉は既婚者であり、英玲奈さん、怜依奈さんという名前の娘が2人います。
姪っ子の存在は2022年に明かされており、写真を見る限りプロ入り前から既に長岡秀樹選手は叔父になっていた可能性が高いです。
長岡秀樹選手は姉から送られてくる姪っ子の写真に癒されており、2022年4月10日には姉夫婦を試合に招待。
現在も姉の家族とは、有効な関係を築いていそうですね。
兄は辰真さんという名前で、長岡秀樹選手の2歳年上です。
兄も野球経験者であり、2025年まで独立リーグの千葉スカイセイラーズに所属していました。
2025年12月21日には、長岡秀樹選手が、兄と父親と共に野球教室に参加。
野球教室の最後には、兄の引退セレモニーや兄弟対決も行われました。
幼少期から家の前でキャッチボールをし、仲が良かった兄から、
「お前と対戦したい。それが俺の最後の願いだ」
引用:Yahoo!ニュース
と熱望されたため実現したものでした。
球審は父親が務め、兄弟対決は二塁打を放った長岡秀樹選手の勝利。
長岡秀樹選手は兄について、
「ずっと兄の背中を追いかけてきました。
兄への思いがあったので、僕も頑張ることができましたし、ありがとうという気持ちとお疲れさまという気持ちですね。」引用:Yahoo!ニュース
とねぎらい、引退後は現地観戦に誘う予定だと明かしました。
正面から見ると長岡秀樹選手に似ているため、ヤクルトファンの方ならすぐに兄に気付くかもしれません。
いつか、長岡秀樹選手の家族総出でヤクルト戦を見に来てほしいですね!
長岡秀樹選手は父親がきっかけで野球を始めた!母親は白血病を乗り越えた前向きで明るい性格!兄は元野球選手!
長岡秀樹選手の実家家族構成は、両親と7歳年上の姉、2歳年上の兄です。
父親は中学教諭で野球部監督を務めた経験があり、長岡秀樹選手も父親の影響で野球を始めました。
プロ入り後も冷静に長岡秀樹選手を見守り、「変化を恐れずに挑戦しなさい」と激励しています。
母親は、長岡秀樹選手が高校1年生の頃白血病が発覚。
5年後の生存率が3%という診断を受けていましたが、長岡秀樹選手が骨髄ドナーとなったことで母親は現在寛解。
この出来事もあり、母親は積極的に現地観戦に出かけているため、ヤクルトファンの間では有名になっているかもしれません。
あまり連絡はしないものの、母親に電話をかけると1時間以上話すことも。
長岡秀樹選手は、母の日や母の誕生日の試合で活躍する傾向にあります。
「母親のためにも活躍する姿を見せたい」とコメントしており、今後も活躍が期待されます。
姉は既婚者であり、長岡秀樹選手には2人の姪っ子がいます。
姉夫婦をヤクルト戦に招待したこともあり、姉家族とも仲が良さそうですね。
兄は独立リーグの球団に所属していましたが、2025年限りで現役を引退しています。
神宮球場に、家族が総出で観戦しに来る日も近そうですね♪
最後までご覧いただきありがとうございました!