佐々木泰選手は、2024年ドラフト会議で広島から1位指名された内野手です。
サードが本職の佐々木泰選手は、小園海斗選手という強力なライバルとのスタメン争いになりますが、大学時代にベストナイン獲得、全日本大学野球選手権大会連覇、春秋リーグ連覇など、輝かしい実績の持ち主。
貧打に苦しんでいるというチーム事情もあり、2024年の春キャンプで打力をアピールできれば、プロ入り1年目からスタメン入りもあり得そうです。
打力で広島の救世主になれるかどうか、広島ファンは期待していることでしょう。
佐々木泰選手は、実家がお金持ちということが知られ、入団直後から多くの野球ファンを驚かせました。
今回は、佐々木泰選手の実家家族について調査しました!
佐々木泰選手がどのような環境で育ってきたか、家族とのエピソードについて気になる方は是非最後までご覧ください♪
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佐々木泰選手の父親はまさかの職業だった!?実家は金持ち?
佐々木泰選手の父親は、貴さんという名前です。
2024年11月末時点で62歳だったため、1962年生まれだと思われます。
顔写真は公開されており、検索すればドラフト会議直後の佐々木泰選手との2ショットが出てきます。
父親はステラ金属株式会社の代表取締役。
結婚を機に元々務めていた会社を退職し、家業を継ぐことになったものの当時の会社は経営難に陥っていました。
自転車のかごや、子供の補助席を中心に取り扱っていた会社でしたが、父親はインテリア関係にも事業の幅を広げた結果会社はV字回復。
経営難の時には従業員が20人ほどでしたが、現在は75人に増えています。

敏腕社長じゃん!
佐々木泰選手が所属していた少年野球チームにラックをプレゼントしたことも会社の転機に。
少年野球チームに観戦に行く度に応援に精を出しながら、会社を存続させるためのアイデアを持ち帰り、父親は次々と実行していきました。
結果、なんと野球用具関連から始めたオンライン事業は2億円規模にまで発展したのです。

父親は社長業として日々の仕事に精進するだけでなく、家から車で30分の場所にある佐々木泰選手の高校へ、22時ごろに迎えに行くことでサポートしていました。
父親としての心と社長としての頭の良さを持ち合わせているという、大人の見本のような父親のもとで育ったからこそ、佐々木泰選手はプロ野球選手になれるようなまっすぐな人間に育ったのでしょう!
社長だからこそ!?佐々木泰選手の父親の野球熱がこもったサプライズとは?
父親には、お金持ちっぷりを証明するエピソードがあります。
佐々木泰選手が所属する少年野球チームが、試合で負け続けてもどかしく思っていた父親は、なんと土日以外も練習できるように家の土地を開放。
しかも、ピッチングマシンを2台揃え、室内練習場も作ってしまったのです。
当時のことについて父親は、
「きっと2人とも喜んでくれるだろうなという思いで、必死になってやったのを覚えていますね」
引用:広島家族
と語っており、並の野球好きの父親とは一味違います。
この室内練習場の運営は、もちろん父親の自費。
佐々木泰選手は、高校卒業まで室内練習場を毎日のように使い、夜は打球音が響いていたそうです。
父親が社長というお金持ちとはいえ、室内練習場を維持するにはお金だけでなく労力もかかったことでしょう。
佐々木泰選手は野球チームだけでなく、実家家族にも支えられて野球を続けられたことが分かります。
佐々木泰選手と父親は昔から野球好き?どこの球団のファン?
佐々木泰選手は岐阜県大垣市出身です。
ドラフト指名された際の取材では、
「自分が小さい頃に球場でファンから声援を浴びているプロ野球選手を見て、『かっこいいなぁ』と。あっち側に行きたい思いがすごくありました。」
引用:デイリー
と語っており、幼少期からプロ野球ファンだったことが分かります。
広島ファンだった佐々木泰選手が広島に1位指名された!
…となればかなり聞こえはいい話ですが、佐々木泰選手も父親も中日ファンだったそうです。
岐阜県は中日ファンの比率が1番多いので、無難といえば無難ですね。
佐々木泰選手によると、父親の方が熱心な中日ファンだったそうで、なんと週2ペースでナゴヤドームに行っていたことがあるとか。
佐々木泰選手がレギュラーとして活躍するようになった場合、父親は広島対中日の試合を複雑な思いで見ることになりそうですね。

息子は応援したいけど…って感じになりそうだね。

これからお父さんは広島ファンになるのかも…?
佐々木泰選手の母親はどんな人?少年時代の大好物もあきらかに!母親と広島訪問も!
佐々木泰選手の母親は、純子さんという名前です。
両親は同い年だと考えられています。
職業は明かされていませんが、父親が経営する会社の事務仕事をしているか、専業主婦である可能性が高いでしょう。
中学時代、投手として出場していた佐々木泰選手は、試合で何を投げても年下に打たれ続けたことがありました。
ランニングホームランを打たれた直後、佐々木泰選手はブルペンで泣きながら、「どうやったら野球がうまくなれるんですか」とコーチに聞いたところ、
「ご飯をまず食べることと、走ることをちょっとがんばれよ」
引用:広島家族
と答えられたため、佐々木泰選手はご飯に合うおかずを泣きながら聞きました。
コーチに明宝ハムと答えられた佐々木泰選手は、帰宅後母親に対し、
『お母さん、明宝ハム!』
引用:広島家族
と声をかけたのだとか。
それ以降、毎日のようにご飯と一緒に明宝ハムを食べるようになった佐々木泰選手のため、母親はずっと明宝ハムを買い続けていたそうです。
佐々木泰選手が高校生の頃、母親は朝4時に起きて学校に送っていたのだとか。
父親と同じく、母親も佐々木泰選手の野球人生を応援していました。
広島入団決定後、佐々木泰選手は母親と共に広島平和記念資料館を訪れており、
「カープが、復興のときと同じくらいにできて市民の方と一緒につくり上げてきた、そういう思い入れの強い球団ということも再認識した」
「そういう歴史を背負って戦えるというのを自分としてもすごくうれしく思っている」引用:中日スポーツ
と語っていました。
親子ともに、岐阜県に住んでいると触れられなかった広島の歴史について知ろうとできるような真面目な性格をしているようですね!
佐々木泰選手にきょうだいはいる?野球を始めたきっかけは?
佐々木泰選手には兄が1人います。
名前は省一さんで、佐々木泰選手の4歳年上です。
佐々木泰選手に関する取材に答えたことがあり、顔写真は検索すれば見つかります。
父親は中日ファンであったものの野球経験はなく、母親も野球経験はありませんでした。
しかし、兄が少年野球チームに入団したことをきっかけに、佐々木泰選手も幼稚園の頃から白球を追いかけるようになったそうです。

お兄ちゃんが野球を始めなかったら、
佐々木泰選手がプロ野球選手になることはなかったかも…!?

野球好きのお父さんの影響で始めることには
なったかもしれないけど、
もう少し野球し始めるのが遅くなっていたかもね。
未だに兄は、家に室内練習場ができた時の佐々木泰選手のはしゃぎようを忘れられないのだとか。
「サプライズで父親が作っていて、野球の練習が終わったかなにかのタイミングで『どうだ、これは!』っていうので見せてもらったんですけども、ぼくよりも弟の方がはしゃいでるような感じで、これはすごいっていうので」
引用:広島家族
兄の職業は明かされていないものの、会社員をしている可能性が高いでしょう。
忙しいと思いますが、佐々木泰選手が出場する試合には是非観戦しに来てほしいですね!
佐々木泰選手の父親は社長だった!両親ともに佐々木泰選手の野球を支えていた!兄は野球を始めるきっかけに!
佐々木泰選手の実家家族構成は、両親と4歳年上の兄1人です。
父親は、ステラ金属株式会社の代表取締役で、廃業寸前だった会社を立て直しています。
業績をV字回復させた父親は、以前工場として使っていた土地を室内練習場に。
佐々木泰選手が所属していた少年野球チームにも開放しており、土日以外も練習できるようにしています。
一足早く野球を始めていた兄と佐々木泰選手に、父親はサプライズのように練習場を見せたところ、佐々木泰選手の方がはしゃいでいたとか。
佐々木泰選手は高校卒業まで、毎日練習場でバットを振っていたそうです。
父親が練習場を作ってくれたからこそ、佐々木泰選手は野球に集中できたのでしょう。
高校時代、母親は4時に起きてお弁当を作り、車で30分かけて佐々木泰選手を送っていっていたのだとか。
父親は、22時に練習を終えた佐々木泰選手を迎えに行っていたそうです。
両親共に、佐々木泰選手を支えたいという気持ちが伝わってきますね。
佐々木泰選手は1年目から活躍したいと語ったことがあります。
2025年中に、マツダスタジアムを訪れる佐々木泰選手の家族を見られるかもしれませんね!
最後までご覧いただきありがとうございました!