町田隼乙選手は、2024年ドラフトで4位指名を受けた捕手です。
高校3年生時点で4球団から調査書が届いていたものの、指名漏れを経験。
野球部の強豪である大学から誘いはあったものの、最短ルートでプロ入りするために独立リーグ入団を決断し、町田隼乙選手の理想通りに大卒選手よりも早くドラフト指名を勝ち取りました。
町田隼乙選手は、身長186cm、体重88kgという恵まれた体格の持ち主です。
加えて、強肩の持ち主でもあるので、近いうちに阪神の第三捕手に抜擢されるのではないかと注目されています。
今回は、町田隼乙選手の両親やきょうだいについて調査しました!
驚きの幼少期エピソードも紹介しているので、是非最後までご覧ください♪
同じく2024年ドラフトで指名された阪神の選手について気になる方は、下記の記事もご覧ください♪
町田隼乙選手と父親のエピソードは?
町田隼乙選手の父親は、光信さんという名前です。
父親は、2024年11月時点で51歳だったので、1972年か1973年生まれだと思われます。
顔写真は、マスクをつけた状態ではありますが、町田隼乙選手のインスタグラムで公開されたことがあります。
父親の身長が180㎝であることは明かされています。
父親から恵まれた体格を受け継いだのかもしれません。
現在バス会社に勤めており、社会人になってからもソフトボールに取り組んでいます。
DeNAファンでもあるため、町田隼乙選手には幼少期から野球を始めてほしいと考えていました。
しかし、町田隼乙選手が小学2年生から始めたのはサッカー。
直接言いはしなかったものの、父親はがっかりしていたそうです。
父親の思いが通じたのか、町田隼乙選手は小学3年生から野球に転向。
「やっぱり野球がいい」と言われた父親はとても嬉しくなり、すぐにスポーツ用具店に連れて行き、野球道具一式を買い揃えたそうです。

やっぱり野球やってほしかったんだね~
高校2年生の頃、コロナ禍で野球部としての活動を休止せざるをえなくなった町田隼乙選手。
なかなか体重が増やせないことが悩みだった町田隼乙選手に対し、父親はダンベルをプレゼントしました。
全力でトレーニングした結果、2ヶ月で7kg増量に成功。
ダンベルも間違いなく増量に役立ったことでしょう。
横浜ファンとしては複雑かもしれませんが、町田隼乙選手が出場する試合を、家族には見に来てもらいたいですね!
町田隼乙選手と母親のエピソードは?おふくろの味は?
町田隼乙選手の母親は、秀子さんという名前です。
母親は2024年11月時点で54歳だったので、1969年か1970年生まれだと思われます。
顔写真は、父親と同じくインスタグラムで公開されています。
写真では、町田隼乙選手の横に並んでいるからか、母親の身長はかなり低いように感じました。
母親もスポーツ観戦が好きで、横浜DeNAファン。
町田隼乙選手がサッカーを始めた時のことについては、
「夫は直接反対はしませんでしたが、すごくガッカリしていました。
『君がついていながら、なぜ野球じゃないんだ』なんてボヤいたことも(笑)」引用:日刊ゲンダイ
と語っています。
町田隼乙選手は長身の理由について、母親の手作りおにぎりだと明かしました。
幼少期から白米好きだった町田隼乙選手は、弁当+おにぎりを母親に作ってもらっていたそうです。
朝早くから弁当の用意が大変だったと思いますが、母親としては熱心に野球に取り組む町田隼乙選手を全力で支えたかったのでしょう。
母親から明かされた町田隼乙選手の幼少期エピソードとは?
町田隼乙選手は、小学2年生の時にサッカー、小学3年生からはずっと野球をしており、他に習い事をしていません。
母親は、町田隼乙選手の筋力について、幼少期から鍛えられていたのではないかと語っています。
「家から幼稚園までは大人の足で10分ほど。
行きは上り坂が続き、ベビーカーでは回り道が必要なほど勾配がきつい箇所もある。
でも、隼乙はとにかく歩くのが大好きな子だったんです。
ハイハイを卒業してからというもの、大人が汗をかくような坂道をズンズン上っていった(笑)。
一応、抱っこ紐を準備していましたが、必要になった記憶はありません」引用:日刊ゲンダイ
町田隼乙選手は、1歳頃からきょうだいの保育園の送り迎えにも同行していました。
そのため、1歳から卒園までずっと主に下半身をトレーニングしていたことになります。
この頃から町田隼乙選手は、体を動かすのが好きだったのでしょうね。
町田隼乙選手が独立リーグを選んだのは両親のおかげだった!?
高校3年生の時に挑んだドラフト会議で、指名漏れしてしまった町田隼乙選手。
大学に行くか、独立リーグに行くかの選択を迫られることになりました。
町田隼乙選手は、一流選手が集まる大学野球部に憧れはあったものの、高校時代の指導者からは独立リーグから話をもらったと聞き、かなり悩むことに。
そんな時に独立リーグ行きを推したのは両親でした。
「大学に入ったら勉強もしなきゃいけないし、ただ野球だけができるわけではない。
プロ野球に行きたい、という一つの目標があるのであれば、じっくり野球に打ち込める独立(リーグ)の環境の方が隼乙にとってはいいんじゃないかというのは、私と主人の考えが一致していたんです」引用:サンスポ
現代の家庭であれば、セカンドキャリアを考えて大学進学を勧められることが多いでしょう。
それでも、独立リーグ行きを勧めたのは、それほど町田隼乙選手がプロ野球選手として成功するという自信があったのだと思います。
町田隼乙選手は、当時の両親からのアドバイスを感謝しているとのこと。
両親の期待に応えられるような活躍を期待したいですね!
町田隼乙選手のきょうだいエピソードは?微笑ましいクリスマスを過ごしていた!
町田隼乙選手には、姉が2人います。
長女は4歳年上、次女は2歳年上だそうです。
一般人のため、年齢以外のプロフィールは明かされていませんでした。
現在は一般企業に勤めているか、専業主婦になっていると思われます。
どちらの姉かは分かりませんが、両親や町田隼乙選手と一緒に撮った写真がインスタグラムで公開されています。
マスクをしている状態ではありますが、目は姉弟で似ているように感じました。
あまり姉についてのエピソードは明かされていませんが、唯一明かされたのが幼少期のクリスマスのエピソードです。
サンタさんへの手紙と共に、トナカイのことを気遣い、姉と一緒に人参を用意していたのだとか。
子供達がトナカイ用のプレゼントを用意するなんて、とても微笑ましい光景ですよね。
1度、ニンジンがかじられていたことがあり、姉と一緒に喜んだそうです。
姉のような心優しい人間が近くにいる環境だったからこそ、町田隼乙選手は純粋に育ち、プロ野球選手になれるような精神を手に入れられたのかもしれませんね!
町田隼乙選手は愛猫家!阪神入り後の野望も?
町田隼乙選手の実家には、猫が4匹います。
時々インスタグラムのストーリーで、猫の写真を公開しているようなので、気になる方は町田隼乙選手のインスタグラムをチェックしてみてくださいね♪
黒猫が2匹、黒色と茶色が混じった猫が1匹、茶猫が1匹で、名前はエイト、ナナ、キキ、チビ。
家族みんなが猫好きで、生まれた時から実家には猫がいたとのこと。
入寮する際は、「猫と離れるのが悲しかった」と明かしています。
親戚からは、甲子園の近くにある猫カフェに行くよう勧められているため、愛猫家の同僚と一緒に行ってみたいとのこと。
阪神所属の選手には、猫を1匹飼っている大竹耕太郎投手、猫を2匹飼っており、阪神から猫とのコラボグッズを発売した大山悠輔選手と、愛猫家の先輩が揃っています。
いつか2人の先輩と猫カフェに行ったという報告が聞けるかもしれませんね♪
町田隼乙選手は、大山悠輔選手のように愛猫とのコラボグッズを発売するのが夢のようで、
「いつかは(作りたい)。家族が喜ぶと思います」
引用:Yahoo!ニュース
と語っています。
阪神の捕手で世代交代が起きれば、町田隼乙選手が1軍の試合で活躍する日もそう遠くはないはずです。
コラボグッズを発売できるほどの活躍を期待しましょう♪
町田隼乙選手の父親はバス会社勤務!母親のおにぎりがおふくろの味!姉が2人いて家族は全員愛猫家!
町田隼乙選手の実家家族は、両親と姉2人、猫4匹です。
家族は全員愛猫家で、町田隼乙選手は生まれた時から猫がいる環境で育っています。
現在バス会社に勤務する父親は、野球を始めてほしいと願っていました。
町田隼乙選手は小学2年生の頃にサッカーを始めてしまったものの、小学3年生から野球に転向。
「やっぱり野球がしたい」という町田隼乙選手からの発言を聞き、父親はすぐにスポーツ用品店に連れて行ったのだそうです。
町田隼乙選手は長身の秘訣について、おにぎりだと語っています。
学生時代は母親に弁当だけでなくおにぎりを作ってもらっていたのだそうです。
母親は町田隼乙選手の幼少期について、1歳の頃から坂のある道をどんどん歩き、抱っこ紐はいらなかったと語っています。
姉たちが保育園に通っていた頃から、町田隼乙選手は送迎についていっていたのだとか。
この頃から、町田隼乙選手は運動が好きだと両親は気付いていたのでしょう。
町田隼乙選手は高校卒業後、大学に行くか独立リーグに行くか決断を迫られました。
両親は、野球に集中できると言う理由で両親から独立リーグを勧めたのだそうです。
結果、大卒選手よりも早くプロ入りできたため、両親の勧めは間違っていなかったと言えるでしょう。
阪神での密かな野望は、大山悠輔選手のように愛猫とのコラボグッズを販売することなのだとか。
コラボグッズを発売できるような人気と実力を手に入れる日を心待ちにしたいですね!
最後までご覧いただきありがとうございました♪