桐敷拓馬選手の家族について調査!2024年最優秀中継ぎ投手!両親はどんな人?きょうだいはいる?

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桐敷拓馬選手は、2021年のドラフト会議で3位指名を受けた投手です。

2024年にブレイクし、中継ぎ投手として両リーグ最高である70試合に登板。

防御率は1.79と安定しており、シーズン終了後には最優秀中継ぎ投手という自身初のタイトルを獲得し、JERAセ・リーグAWARD特別賞の表彰を受けました。

野球ファンからは、ルーキー桐敷との相性が定着し、阪神の元監督である岡田監督からは「スピードのエース」という異名を授けられており、チームからもファンからも愛されていることが分かります。

今回は、桐敷拓馬選手の家族について調査しました!

2025年シーズンも活躍が期待される選手なので、気になる方は是非最後までご覧ください♪

桐敷拓馬選手の父親はどんな人?職業は?野球を始めたのは父の影も?

桐敷拓馬選手の父親は、徹さんという名前です。

2024年の父の日の時点で57歳であることが明かされていたため、1967年か1966年生まれだと考えられます。

顔写真は検索すればすぐに出てきます。

桐敷拓馬選手の顔立ちは、どちらかというと父親似のように感じました。

父親の家業は花農家。

パンジーや水稲などを育てているそうです。

幼少期は父親とキャッチボールをしたり、ビニールハウス内で素振りをしていたのだとか。

父親の性格について桐敷拓馬選手は、頑固でこだわりが強く、親子げんかになった場合は絶対に意見を曲げなかったそうです。

たとえ父親が間違ったことを言っていたとしても、意見を曲げられないのは大変なことですが、こだわりが強いからこそ綺麗な花を育てられているのかもしれません。

桐敷拓馬選手の名前は、北海道を開拓した馬のように、新しい道を切り拓いてほしいという思いを込めて名付けられたそうです。

桐敷拓馬選手は、

「僕も野球人生で投手というポジションにはこだわってきた。
ツーシームだけは誰にも負けたくないです」

引用:スポーツ報知

とコメントしたことがあり、父親のこだわりの強さは自身にも受け継がれていると感じているのだとか。

6歳から少年野球に入団した時からマウンドに立つことを夢見ていた桐敷拓馬選手。

しかし、ホームまで投球が届かなかったため、最初は8番ライトでのスタート。

父親とキャッチボールや練習を重ねることで、桐敷拓馬選手は小学3年生の時にやっと投手としてマウンドに立つことができたそうです。

息子の夢を叶えるために、花農家として多忙な中練習に付き合う優しい父親だと言えますね。

桐敷拓馬選手は、耳にタコができるほど「謙虚に生きなさい」と父親に言われ続けていたのだとか。

桐敷拓馬選手を見ていると、最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲った選手とは思えないほど、謙虚な性格が伝わってきますよね。

父親の教えは、間違いなく現在の桐敷拓馬選手のキャリアに役立っていることでしょう。

桐敷拓馬選手の母親はどんな人?おふくろの味は?

桐敷拓馬選手の母親は洋子さんという名前です。

桐敷拓馬選手が阪神と契約合意した際、51歳であることが明かされていました。

そのため、父親と同級生か1歳差だと思われます。

母親も父親と同じく、花農家として働いています。

桐敷拓馬選手と母親の2ショットは、検索すればすぐに見つかります。

桐敷拓馬選手は母親についてはあまりエピソードを明かしていませんでした。

野球に関しては父親に任せ、陰ながら見守るというスタンスを取っていたのでしょう。

桐敷拓馬選手によると、おふくろの味はカレー。

「独特というわけではなく、にんじんとかが入ったオーソドックスなカレーです」

引用:スポニチアネックス

契約直後は、イチロー選手のように朝カレールーティーンを試してみたいと語っていたものの、現在も行われているかは不明です。

ただ、毎日カレーを食べても飽きないような息子に育て上げたということは、間違いなく母親のカレーは絶品だと思います。

桐敷拓馬選手の登場曲には両親の影響が!?

桐敷拓馬選手は、登場曲に浜田省吾さんの曲である「J.Boy」が採用されています。

あまり桐敷拓馬選手のような若い人が浜田省吾さんの曲を聴くというイメージが無かったのか、メディア企画で桐敷拓馬選手の質問を募集したところ、登場曲への質問が多く届いたのだとか。

桐敷拓馬選手は登場曲に「J.Boy」を採用している理由について、

「理由はもう単純に、親の影響で自分も好きだからですね。
両親がファンクラブに入っているぐらい好きで、それで自分も小さい頃から聞いていて。」

引用:スポニチアネックス

と回答。

ファンクラブに入るということは、かなり筋金入りの浜田省吾さんファンなのではないでしょうか。

両親と聞き続けた浜田省吾さんの曲を登場曲に採用するあたり、桐敷拓馬選手の家族思いな一面が感じられます。

しばらく登場曲を変える予定はないとのこと。

このエピソードを知っていると、桐敷拓馬選手の登場曲がまた違った聞こえ方になるかもしれませんね。

桐敷拓馬選手にきょうだいはいる?兄とは超仲良し!

桐敷拓馬選手には姉が1人、兄が1人います。

姉は一般人のため、詳細なプロフィールは一切明かされておらず、桐敷拓馬選手も姉についてのエピソードを語ったことはありません。

いつか少しでも桐敷拓馬選手と姉のエピソードが聞けるといいですね。

兄は隼人さんという名前で、年齢は桐敷拓馬選手の2歳上です。

顔写真は公開されていませんでした。

桐敷拓馬選手は父親によると、ずっと兄の背中を追っていたとのこと。

兄が小学2年生の頃、少年野球チームに入団したのをきっかけに、桐敷拓馬選手も野球を本格的に始めることになりました。

父親によると、

「お兄ちゃんが大好きだから、『お兄ちゃんがやることはやりたい』と言って、ついて行ってしまいました。

引用:デイリースポーツ

とのこと。

幼少期から喧嘩することなく、仲が良かったのでしょうね。

中学3年の時には「最後ぐらい兄と野球がしたい」という理由で、兄と同じ高校を志望したものの、偏差値が高い学校だったのか父親から、

「12月最後の模擬テストで基準値に届いていないとお兄ちゃんのところに入れないよ」

引用:デイリースポーツ

とノルマが課せられたそうです。

残念ながら基準値には届かず、違う高校に進学することになりました。

“最後ぐらい”と言っていることから、兄は高校卒業と同時に野球をやめているのかもしれません。

しかし、兄と仲が良かったからこそ、桐敷拓馬選手は野球を始めて中継ぎ投手のタイトルを獲得できたと言っても過言ではないでしょう。

兄も姉も、桐敷拓馬選手の活躍を見て喜んでいるに違いありません。

桐敷拓馬選手は兄がきっかけで野球を始めた!父親と投手として出場するため猛特訓!両親は花農家!

桐敷拓馬選手の実家家族構成は、両親と姉1人、2歳年上の兄です。

野球を始めたのは幼少期から仲が良かった兄が少年野球チームに入ったことです。

当時兄の背中を追いかけていた桐敷拓馬選手は、一緒に野球チームに入ることになりました。

浜田省吾さんファンの両親は、花農家を営んでいます。

幼少期から投手になりたかった桐敷拓馬選手は、マウンドからホームに投球できるように父親と練習を重ねていました。

こだわりの強さは、父親から受け継いだと語ったことがあります。

父親からは「謙虚に生きなさい」と口酸っぱく教えられていたのだとか。

母親についてはあまりエピソードが明かされていなかったものの、おふくろの味がカレーであることは阪神との契約合意後の会見で語られていました。

姉については一切情報が出回っていないようで、一般企業の会社員ではないかと思われます。

最後までお読みいただきありがとうございました!


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