二俣翔一選手の家族について調査!2025年ブレイク候補!両親はどんな人?きょうだいはいる?

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二俣翔一選手は、2020年に行われたドラフト会議で広島カープから唯一育成指名を受けた選手です。

捕手として指名されましたが、2022年に内野手に転向。

シーズン終了後には支配下登録を勝ち取りました。

2024年はシーズンを通して1軍に帯同。

出場試合では守備力を発揮しており、2025年のブレイク候補だと言われています。

今回は、二俣翔一選手を育てた実家家族についてまとめていきます。

二俣翔一選手の実家家族構成は?

二俣翔一選手の実家家族構成は、兄弟に関しての情報が出ていないことから両親のみの可能性が高いです。

取材に応えているのは父親のみ。

そのため、母親に関してはプロフィールが全く明らかにされていません。

母親は一般人である可能性が高いでしょう。

父親は豪良(たけよし)さんという名前です。

二俣翔一選手がドラフト指名された際、父親は48歳だったため1975年か1976年生まれだと思われます。

父親は高校まで野球を続けており、二俣翔一選手と同じく捕手を長い間務めました。

しかし、高校生時代に肩を負傷したことにより、プロ野球の夢は諦めることになってしまいました。

だからこそ、二俣翔一選手には自身の夢を受け継いでもらおうと思ったのでしょう。

二俣翔一選手と父親のエピソードは?

父親は、野球や私生活に関して多くのエピソードを話してくれています。

二俣翔一選手と父親に関する印象的なエピソードをいくつか紹介しますので、是非最後までご覧ください♪

①小学生時代の二俣翔一選手と父親のエピソード

捕手として広島から指名された二俣翔一選手。

しかし、小学生時代は投手をしていた頃もあったそうです。

父親は、小学生時代から二俣翔一選手の指導に熱が入っていました。

その最たるものとして、二俣翔一選手は試合で失点して帰ってきた場合、家で正座をさせられていたのだそうです。

チームの勝敗や失点数に関係なく正座だったと考えると、父親はかなりの完璧主義だったと感じられますね。

父親は学生時代に捕手をしていたため、小学生時代から人間観察をするように教えられていたとか。

人間観察の大事さを幼い頃から教えられていたからこそ、プロ野球選手になれたのかもしれません。

②中学時代の二俣翔一選手と父親のエピソード

二俣翔一選手は中学時代は捕手として活動することが多かったようです。

しかし、捕手を始めた当初の二俣翔一選手は、力任せにボールを投げていたため、盗塁を阻止できませんでした。

走者の刺し方について教えたのも父親です。

「中学校までは、父がよく練習や試合を見に来ていたのですが、来るたびに“捕ってから遅い”と言われてきたことも意識付けのきっかけになったと思います」

引用:ATHLETE WEB

投げるまでのスピードや、投球時の足運びについて意識するようになった結果、送球はかなり改善されました。

親子2世代で捕手をやるというのは、なかなかないことだと思います。

同じポジションについていたからこそ、できる指導も多かったことでしょう。

③高校生時代の二俣翔一選手と父親のエピソード

高校1年生の頃は遊撃手をしていた二俣翔一選手。

高校2年生夏から捕手に転向します。

父親が捕手をやっていたこともあり、二俣翔一選手は捕手に対して憧れがありました。

チーム事情によってポジション変更を余儀なくされることもありましたが、野球人生で1番長くついたポジションは捕手とのこと。

父親によると、高校時代も二俣翔一選手に厳しく指導していました。

しかし、二俣翔一選手は厳しい指導に対し、泣くことは一切ありませんでした。

小学生から変わらず、父親から人間観察が大事だと指導されてきた二俣翔一選手は、

「高校に入学しても、味方投手の癖や相手打者の癖など、選手の特徴は、メモも活用しながら頭に入れてきました。
高校になってから、新たに気づいた視点もあるので、選手を観察する力は成長したと思います」

引用:ATHLETE WEB

と語っています。

また、父親は高校時代のケガで野球を辞めるようになった経験から、二俣翔一選手に怪我をさせないように気を付けてきました。

結果、二俣翔一選手は、「小学校から高校の間で肩の強さは誰にも負けたことがない」と言うほど、強肩になれたそうです。

自分にも厳しい性格に育った二俣翔一選手が、唯一父親の前で涙を見せたのは高校3年夏の県大会です。

二俣翔一選手は甲子園出場無しで高校生活を終え、悔しさが溢れてしまったのでしょう。

③プロ入り直後の二俣翔一選手と父親のエピソード

強肩や伸びしろが買われ、広島カープに入団した二俣翔一選手。

父親は二俣翔一選手の入団交渉に同席しており、プロ野球選手になった二俣翔一選手について、

「憧れのプロ野球の世界にようやく、内定をもらった感じ」

引用:スポーツ報知

と語り、野球に真面目に取り組むようにとエールを送りました。

二俣翔一選手は、初任給で両親に財布をプレゼント。

父親は、とても大事に使っているのが分かる綺麗な財布を記者に自慢気に見せていたそうです。

しかし、「1軍で活躍したらもっと嬉しい」と、父親は1軍試合出場を心待ちにしている様子でした。

二俣翔一選手は育成入団となったものの、スカウト担当者から、

「君ならすぐに支配下になれるよ」

引用:ATHLETE WEB

と言葉をかけてもらっており、自信をもって入団することができました。

ただ、プロの壁は高く、二俣翔一選手は父親に「野球をやめたい」と愚痴をこぼしたことがあったのです。

父親はその言葉に対し、「今まで頑張って来たのを皆が見てくれている。そんなこと言っちゃだめだ」と返し、二俣翔一選手を奮起させました。

絶対にプロ野球選手として成功させたいという父親の思いが感じられますね。

④支配下登録経験後の二俣翔一選手と父親のエピソード

2023年9月3日、二俣翔一選手は曽根海成選手の特例抹消・代替指名選手として一軍初登録されましたが、出場機会がなく9月5日にはファームに戻されました。

この時の父親からの反応は、「思ったより短かったな!まぁ特例だから仕方ないな!」という明るいものでした。

ただ、明るく振る舞ってはいるものの、父親としては1軍出場する二俣翔一選手を見られなくて、少し残念に思ったのではないでしょうか。

2024年シーズン、1軍帯同することになった二俣翔一選手。

父親はスケジュール帳とにらめっこする日々が続くことになります。

「今年は初めて日南キャンプにも行け、3月はオープン戦、4月は名古屋遠征、5月はマツダスタジアムでスタメンの試合も見ることができました。」

引用:週刊ベースボールONLINE

と父親は満足そうでした。

しかし、思わぬ悩みが発生します。

月1で球場に行きたいのですが、お小遣いが足りないのです。

父親はお酒・煙草・ゴルフもしませんが、二俣翔一選手の実家家族は静岡在住。

1度マツダスタジアムに行くだけでかなりのお金がかかります。

静岡在住なら中日の本拠地がある名古屋や、巨人・ヤクルトの本拠地がある東京の方が節約できそうですが、お小遣いの金額によってはこの距離の遠征すらきつそうです。

妻にお小遣い交渉をした方が良いかもしれませんね。

2024年4月19日には1軍の試合で初安打を放った二俣翔一選手。

記念球は部屋に飾っておこうと考えていました。

しかし数日後、父親から「送れよ」と催促があったとか。

父親としては、二俣翔一選手が1軍試合に出場した証拠としてどうしても欲しかったのでしょう。

父親がまさかのYouTubeライブに参戦!?

広島ファンの方なら、「勝ちグセCarpチャンネル」というチャンネルを知っているのではないでしょうか。

広島ホームテレビのコンテンツが見放題。

かなり広島県以外に住んでいるファンにも優しいチャンネルだと思います。

何でも知りたい女の子
何でも知りたい女の子

このサイトのライダー(広島ファン)が言ってたけど、
広島公式YouTubeチャンネルはやる気が無…

解説お兄さん
解説お兄さん

シーッ!!

コロナ禍に突入したことで何か違う形で応援できないかと「勝ちグセCarpチャンネル」では、2021年5月25日にライブを配信。

このライブでコメントに異変が生じます。

なんと、「二俣豪良」という二俣翔一選手の父親と同姓同名のアカウントからコメントが送られてきていたのです。

コメントには、二俣翔一選手の父親であることや、いつも広島カープの情報を発信してくれていることを感謝する内容が書かれていました。

思わず動画に出演していた吉弘翔アナウンサーも、コメントを見た瞬間に動きがとまります。

静岡から送られてきていたため、本当に二俣翔一選手の父親がコメントしているとライブは大盛り上がり。

最後に父親は「毎日息子とはLINEしていますよ」と微笑ましい一言を残しています。

二俣翔一選手と父親の仲の良さが感じられる一幕でした。

コロナ禍で迎えたシーズン中はファームで迎えています。

この期間中も、父親から指導を受けていたのかもしれません。

二俣翔一選手は父親と共に野球人生を歩んできた!スランプから奮起させたのも父親!カープ応援チャンネルにコメントも?

二俣翔一選手には、きょうだいがいるという情報が出ていないため、実家家族は両親のみの可能性が高いです。

父親の豪良さんは、高校まで野球を続け甲子園を目指していました。

しかし、肩の故障により野球を辞める羽目に。

プロ野球選手になる夢は、息子である二俣翔一選手に託すことになりました。

父親の熱血指導は小学生時代からずっと続き、二俣翔一選手は父親と同じ捕手のポジションに多くつき、送球方法や人間観察の大事さは、父親から多く学んだそうです。

父親は負傷経験から、二俣翔一選手に怪我をさせないように指導してきました。

結果、二俣翔一選手は強肩に育つことができました。

しかし、二俣翔一選手はプロの壁にぶち当たった際、「野球を辞めたい」と言い出します。

父親は、「皆頑張っている姿を見ているのにそんなことを言うんじゃない。」と返し、奮起させました。

この奮起の結果か、2024年には二俣翔一選手は1軍に帯同することになり、父親はキャンプや試合現地観戦などでお小遣いがなくなってしまうという嬉しい悩みが発生することになりました。

父親の行動からは二俣翔一選手を応援したいという気持ちがひしひしと感じられます。

これからも親子の絆を感じさせるエピソードを聞かせてほしいですね。

最後までご覧いただきありがとうございました!


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